俳優「阿藤 快」さんの訃報
役者、阿藤快さんの訃報に接して、心よりお悔やみを申し上げます。
脇を固める役者さんとして、また、旅行記や食べ歩きの情報番組などで朴訥とした人柄がにじみ出ていて
見ていてほっとする役者さんでした。
最初は、ネットニュースで急死と出ていたので何事かと思っていたのですが、心臓の大動脈破裂都のことで
せめて苦しまれずにお亡くなりになったのなら、それだけは救いでした。
10月から始まった「下町ロケット」での佃製作所の顧問弁護士役を見ていましたので、元気そうだと思ってたのに
彼のことをご存じない方のために、これまでの阿藤さんの歩みをご紹介します。
wikiより
阿藤 快(あとう かい、1946年11月14日 – 2015年11月14日[1][2])は、日本の俳優・タレントである。旧芸名は「阿藤 海」[1]、本名は阿藤 公一(あとう こういち)[1]。神奈川県小田原市出身。舞プロモーション → ボニート合同会社 (Bonito LLC) 所属。
本名 阿藤 公一
別名義 阿藤 海(旧芸名)
生年月日 1946年11月14日
没年月日 2015年11月14日(満69歳没)
出生地 日本の旗 日本 神奈川県小田原市
死没地 日本の旗 日本 東京都[1]新宿区
身長 183 cm
血液型 A型
ジャンル 俳優、タレント
活動期間 1960年代 – 2015年
活動内容 映画、舞台、テレビドラマ
配偶者 なし 離婚されていたようで、長男も結婚されて一人暮らしだったようです。中学時代は野球に熱中。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学[3]。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校に復学した。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科に入学。
学生時代は弁護士を志し司法試験の勉強に勤しむが、2年時にドイツ語の単位が足りず断念。
大学卒業後、劇団俳優座の舞台部に加入。後に原田芳雄の薫陶を受けたことと中村敦夫の誘いをきっかけに役者を目指すようになった。原田が出演した映画・ドラマに起用される事が多く、原田を兄事してその交流は原田逝去まで続いた。
その後、原田、中村、市原悦子、地井武男ら『俳優座造反組』と呼ばれるグループと共に退座。約10年余は主に悪役や端役として俳優活動を続ける。
1988年、フジテレビ『教師びんびん物語』に主人公・徳川龍之介(演・田原俊彦)の教頭・御前崎マキオ役でレギュラー出演し、お茶の間の人気を獲得[1]。以後はドラマ出演等の俳優活動に加え、グルメ番組でのリポーターや旅番組での案内役も担当するようになり「なんだかなー」の名セリフで有名に。
近年はドラマ・映画よりグルメ番組・旅番組への出演が多い。2001年11月14日に芸名を阿藤海から阿藤快に改名[1]。
出身地である小田原市の小田原ふるさと大使に就任[4]。その縁で北條五代祭りでは北条早雲に扮してパレードに参加している。また小田原市が主催する小田原映画祭の実行委員を第1回(2005年)より務めており、第2回(2007年)から実行委員長も務めていた。
2015年11月15日、仕事先に姿を見せなかったため、午後2時頃に所属事務所スタッフと家族が自宅を訪ねたところ、ベッドに横たわって亡くなっているのが発見された。発見時より病死とみられ[2][5]、その後、胸部大動脈瘤破裂が正式な死因とされた。69歳没。奇しくも69歳の誕生日を迎えた日に亡くなった[6]。
誕生日にお亡くなりになっていたとは、知りませんでした。
死亡原因の、大動脈瘤(りゅう)破裂胸腔内出血ですが、以前から背中の痛みや症状を訴えられていたとのことです。
まわりも病院での検査を薦めていたようですが、もう少し早く治療を初めて休養されていたらと悔やまれます。
子供さんも結婚独立されて、一人暮らしだし食生活が不摂生になってしまったのかもしれません
ゴルフがお好きで、17日にもプレイの予定があったそうです。
お酒も強くて豪快に飲まれていたとか
芸能界の反応
雰囲気の通り優しい方のようで、惜しむ声が多いです。
下町ロケットで、対立する弁護士役を演じたピーターさんも
年も近かった。でも少し太られたように見えて、『太ったー? 快さん』って聞いたら、『うん、そうなんだよー』って。すごく汗もかかれていて、体の調子が良くないのかなとちょっと思った」
◆阿藤さんの最後の映画となった「シネマの天使」で共演したミッキー・カーチス(77) 「信じられないよ。先月13日の完成披露試写会も元気そうで、楽しい会話をして盛り上がっていたから。本当に気遣いがすごい奴で、試写会で好き嫌いの激しい本郷(奏多)君がまんじゅうを食べなければならないのを心配して『俺が食べてやるよ』と言うような奴だったよ。俺より若い人が亡くなると本当にショック」
◆同主演俳優、本郷奏多(24) 「つい先日までご一緒にお仕事をさせていただいて、優しく温かい阿藤さんのお人柄に助けられておりました。お元気そうに見えたので、驚きを隠せません。素敵な先輩であり、大好きな俳優さんでした」
◆ドラマ「教師びんびん物語」シリーズで共演した俳優、野村宏伸(50) 「初めてお会いしたときは本当に怖そうな人だなと思っていましたが、実は心優しく、いつも現場を和ませるなど、すごく周りの方に気を使う方でした。『いいね! 面白いよ!』と一番に褒めてくれたおかげで芝居にも自信が持て、色々な迷いが吹っ切れたところもありました」
◆NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」などで共演したタレント、今田耕司(49) 「いつもにこやかで元気な方でした。番組で定期的にお会いしていたので残念でなりません」
また、この病気に関して専門医は
◆冨名腰文人・高野ビルクリニック院長 「阿藤さんの場合、背中の痛みは相当、ひどかったはず。マッサージなどではなく、一刻も早く医者にかかっていれば、人工血管で治る可能性もあった。大動脈瘤は動物性脂肪分やアルコールの大量摂取、喫煙などによる動脈硬化が原因で血液の流れが悪くなり、大動脈にできるこぶのこと。そのこぶが破裂して胸腔内に大量に流れこんでしまい呼吸困難になったのでしょう。高血圧の人は特に日ごろから注意し、血圧を下げる治療を受けることがまず、大動脈瘤を避ける予防になります」
と言われています。
葬儀・告別式は、21日に神奈川県小田原にて喪主は長男の方が努められるようです。
最後に
阿藤さんは、学生の頃野球が好きで活躍されていたそうですが、大学は、東京都立大の法学部で弁護士を目指すなど
スポーツと勉学に励んでいらっしゃったそうです。
阿藤快さんのご冥福を重ねてお祈りいたします。
